平成20年 東本願寺報恩講で受け継ぐ御華束づくりと明治の恩返し
白い丸餅が、ひとつずつ積み上げられ、やがて蓮の花の姿になる。東本願寺の本山報恩講で供えられる御華束(おけそく)は、単なる荘厳の品ではありません。餅米を蒸し、搗き、丸め、形を整える人の手を通して、宗祖への報恩と、人から人へ受け渡されてきた感謝の記憶を今に伝えるものです。
過去、平成20年(2008年)の通順寺において、本山報恩講を前に、御華束づくりが静かに、そして厳かに進められました。11月18日から20日までの準備期間に使われた餅米は約180kg。そこから約3,500個もの丸餅が作られ、蓮を思わせる立体的な供物へと組み上げられていきました。⚠御影堂屋根瓦修理のため、通常の餅の量が半分ほどでした。

本山報恩講に供えられる御華束の意味
本山報恩講は、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の御命日をご縁として勤められる、東本願寺の大切な法要です。各地から参拝者が集い、聖人の教えを聞き、念仏の歩みを確かめる場でもあります。
その法要空間を荘厳する供物のひとつが御華束です。読みは「おけそく」。漢字を見ると「花の束」と書きますが、実際には丸餅を組み合わせて蓮の姿を表します。とくに東本願寺の御華束は、白い餅を幾重にも重ね、蓮の花のように立ち上げるところに特徴があります。
蓮は仏教において、清らかさを象徴する花として親しまれてきました。泥の中から茎を伸ばし、美しい花を開く姿は、仏前に供える形としてもふさわしいものです。御華束は、食べ物である餅を花の形に仕立てることで、供える心と造形の美しさをひとつにしています。
平成20年 東本願寺報恩講で受け継ぐ御華束づくりと明治の恩返しという題が示すように、この供物には、長い時間を越えて続く報恩の心が込められています。
平成20年11月18日から20日まで続いた準備の時間
御華束づくりは、法要の直前に慌ただしく行われる作業ではありません。平成20年の本山報恩講では、11月18日から20日までの3日間をかけて御華束作りが進められました。
中心となる材料は餅米です。一般の家庭で餅を搗く量とは比べものにならない規模です。餅米を洗い、浸し、蒸し、搗く。そこから一つひとつを丸め、形と大きさをそろえていきます。
できあがった丸餅は約3,500個。数の多さだけを見ると大作業に思えますが、御華束づくりで大切なのは、ただ大量に作ることではありません。餅の大きさ、やわらかさ、表面の滑らかさがそろっていなければ、後の組み上げに影響します。
作業には、次のような積み重ねがあります。
餅米を丁寧に扱い、蒸し上がりを見極める
搗き上げた餅を同じ大きさに分ける
丸餅の表面をなめらかに整える
乾き具合を見ながら、組み上げに適した状態にする
完成形を考えながら、餅の向きと重なりを決める
この流れの一つでも雑になれば、蓮華の美しさは保てません。御華束は、手仕事の正確さと、供える心の静けさが重なって生まれます。

180kgの餅米から3,500個の丸餅へ
180kgの餅米から約3,500個の丸餅を作るには、体力だけでなく、段取りも欠かせません。餅は時間とともに固さが変わります。柔らかすぎると積みにくく、固くなりすぎると形を整えにくくなります。作る人たちは、餅の状態を見ながら作業の速度を合わせていきます。
丸餅は、御華束の最小単位です。ひとつひとつは小さく、素朴な白い餅に見えます。けれども、何千個もそろうと、その白さは圧倒的な存在感を持ちます。
ここで求められるのは、均一さだけではありません。餅にはわずかな個体差があります。その違いを見ながら、どの餅をどの位置に置くかを選びます。外側に見える部分には形の整ったものを使い、内側には支えとして安定するものを置く。こうした判断が、完成時の美しさにつながります。
御華束づくりは、仏前の荘厳であります。材料は餅米と水というごく身近なものですが、完成形は日常を離れた荘厳な姿になります。その変化に、供えるという行為の深さがあります。
丸餅を御華束へ組み上げる
御華束の見どころは、丸餅を蓮の花のように組み上げる工程です。丸餅はそのまま置かれるのではなく、花弁を思わせるように角度と間隔を調整しながら積まれます。
下部には安定した土台が必要です。土台が弱ければ、上へ向かう形が崩れてしまいます。中段では、少しずつふくらみを持たせ、花が開くような印象を作ります。上部では、全体の均衡を見ながら、軽やかさと高さを出していきます。
餅そのものは白く、装飾的な色は青と赤です。それでも、並び方と陰影によって、蓮らしい表情が生まれます。形の乱れは目立ちます。反対に、整った重なりは、見る人に清らかな印象を与えます。
この作業には、手先の器用さだけでなく、全体を見る目が必要です。近くで餅の向きを確認し、少し離れて花全体の姿を見直す。細部と全体を何度も行き来しながら、御華束は完成へ近づきます。

明治24年の濃尾地震から始まった感謝の供え物
御華束には、法要のための供物という意味に加えて、歴史的な背景があります。その始まりは、明治24年(1891年)に起きた濃尾地震後の感謝にさかのぼると伝えられています。
濃尾地震は、岐阜県や愛知県を中心に大きな被害をもたらした、日本近代史に残る大地震です。多くの人が家族や住まいを失い、地域の暮らしは深く傷つきました。
その後、被災地の人々が受けた支援への感謝のしるしとして、東本願寺へ餅を供えたことが、中島郡会の御華束奉納の由来とされています。つまり御華束は、災害後の救援に対する「ありがとう」の心から始まった供え物です。
この由来を思うと、御華束の丸餅は、単なる飾りではなくなります。一つひとつの餅が、苦難の中で受けた助けを忘れない心を表しているように見えてきます。報恩講における「恩に報いる」という精神と、濃尾地震後の感謝の物語は、自然に重なります。
平成20年に受け継がれた手仕事の重み
平成20年の本山報恩講で行われた御華束づくりは、過去の形式をただ繰り返したものではありません。明治から続く感謝の記憶を、平成の時代にもう一度、手で確かめる営みでした。
餅米180kg、丸餅3,500個(通常は餅米300kg、丸餅7000個)という数字は大きく見えます。けれども、その本質は数ではなく、人の手を通して受け継がれる心にあります。米を蒸す人、餅を丸める人、形を組む人、完成した御華束に手を合わせる人。それぞれの関わりが、供物に厚みを与えます。
法要の荘厳は、目に見える美しさだけで成り立つものではありません。そこには、準備に携わる人の時間があります。過去の災害を忘れず、受けた恩を形にし、宗祖の教えの場に供える。その連なりが、東本願寺の御華束を特別なものにしています。

白い餅に託された報恩のこころ
御華束づくりは、派手な行事ではありません。工程の多くは地道で、時間がかかり、同じ動作の繰り返しです。それでも、その積み重ねがあるからこそ、法要の場に凛とした美しさが生まれます。
平成20年の東本願寺で作られた御華束は、明治24年の濃尾地震後に始まった感謝の歴史をひとつに結んでいました。
白い餅は、静かです。けれども、その静けさの中に、忘れないこと、供えること、恩に報いることの重みがあります。御華束を知ることは、本山報恩講の荘厳を眺めるだけでなく、そこに込められた人々の記憶と感謝に耳を澄ませることでもあります。



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